国際連合人権宣言谷川俊太郎訳は誤訳

All human beings are born free and equal in dignity and rights.

共通して言えるのは、人間は生まれた時から自由で平等だと言っている事です。人間は生まれた時から平等とは無縁です、人間は自由をと願いますが、自由の地はどこにもありません。人の存在の尊厳(在ってよい事)と権限(為してよい事)においては自由と平等を皆で守り合いましょうという意味です。それは、或る人の存在と行為は、他者にとっては脅威だからです。

「わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だから互いによく考え、助けあわねばなりません。(谷川俊太郎)」
第一条
 「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。(日本)」

原文が絶対であるとは思いません。ただ私が気になったのは、freeもequalも形容詞、或いは名詞であるということ、次にbornはbearの過去分詞、過去分詞は形容詞的に使えるということ。等を考慮した上で、英語辞典と国語辞典を頼りに自分の描く自由と平等の概念に近付けます。私が認めない尊厳と権利における自由と平等は、万人にとって無意味だからです。何故なら、私は人間の一人だからです。

bearは、「耐える」、「負う」「生む」などの意味があります。こんなにまちまちの意味があったらどうすればいいのか分かりません。この中で一番使えるのは「負う」だなと思いはします。「責任を負う」とは言いますが、実際「責任を取る」と口語では言います。「負う」は文語で使っても口語、話す時にはほとんど使いません。「自由と平等を負わされる」自由と平等はおいそれと手に入らない事は、英国米国ともよく知っています。私達日本人の思いと彼らの思いには随分差があると思い知らされます。差がある事を受け入れた場合、けっこういい訳になる事は確かです。辞書の意味さえ間違っていなければ「負わされる」がいいような気がします。自由、対等を名詞としてそのまま変形させずに使えます。

長くなりましたから、明日続きを書きます。