傷付くということ

Good-bye to All Thatの作者Robert Gravesは大人になるまでに傷を負った体になったようです。私が覚えている私の傷は左足の膝からかなり下がった外側にある傷、私の家は百年以上経った家でした。長く急な坂を上り切って少し下ると大きなだいだい(夏みかん)の木が右手の畑の隅っこにあり、また少し行くと道の脇にざくろ、また少し下り我が家が右手に見える場所に大きな赤い花が咲く椿の大木、その横に桃色の可愛い花びらの椿の大木がありました。道を下り切ると家を背にして右が我が家、左が「へや」と呼んだ祖父の弟の家でした。

玄関の前にちょっと今でも何処でも見かけない大きな無花果(いちじく)の木がありました。駄菓子一つ近くに売る店はなく、私と兄弟は、床下をセメントで囲んで保存してある薩摩芋か庭の枇杷や無花果、石榴(ざくろ)などがおやつでした。

私は、兄弟と木に上って無花果を取ろうとして斜面に落ちました。無花果を採ろうとしたこと、私は落ちそうになったということ以外、何にも覚えていません。足に傷が出来て気になってはカサフタを取りたがるためなかなか治らなくて傷痕が残りました。

私は子供の体に傷がつくことを極端に嫌いましたが、母は忙しくてそんなことで思い煩うこともなかったでしょう。私は結婚以来43歳まで純粋培養の奥様をしていました。もちろん教育ママ(中途半端)、世間より家好き、男より子供という一般的な女でした。

体に残った傷痕なんて今更どうにもならない、心に傷がついたって明日になればみんな忘れている。