受け身って?

もう何年も私は受け身について考えている。もう何年も私は受け身について考えさせられている。こんな文章が平叙文と受動態。れるられるを使うのが受動態。れるられるは敬語にも使う。れるられるを使うと訳せないことがある。

the song for writing which my father will be chiefly remembered・・私はbeを状態を保つという意味で「ままだ」と訳すことにした。「僕の父が主として思い出すがままに書くことへの賛歌」と訳した。思い出されることを書くというのでは何か妙な気がした。思い出されるという言葉は思い出すことができるという意味に取れ、可能を表すように感じた。

日本人が受動態を使う目的と英米が使う目的が同じかどうかが分からない。日本ではものを主体にしても受け身にせず、平叙文で言う。英米はどうなのか?わざわざ受け身にする必要はないだろう。小説だからこうなっているのか、普段も受け身を多用するのかが分からないが、まあ多用はしないだろうなと思いはする。

思うは思われると変えることができる、思うのは現在過去未来のこと、何でもよい、が、思い出すのは過去のことに限定される。今ちょっと考えたことがあります。rememberの意味は?今辞書を使って調べてもなかったのでNetで調べました。何を調べたかというと「呼び覚ます」の方がrememberの意味として相応しくはないだろうかと。

というように実況中継の真似事をしているのですが、意味として間違ってはいなくても、僅かなニュアンスの違いでしっくりすることがあります。これは今日Good-bye to All Thatを訳した部分ですが、明日までによく考えてもっといい訳にします。どうしても納得できない意味がないこともないのです。しかし長年良しとされたことを軽く見てはいけません。