あの時は、

異性の教師の家に泊まりに行かせる親がいる。教師は彼女を女として扱う。関係は続き、修学旅行でも同じことがある。他の子供も眠っている。少女は体が強張り声を出さなかった。毎日新聞が朝から犯され続けた女性の顔を一面のど真ん中に掲載し、書いた文章の概略。

私は、子供の時、何度かの性的な誘いを受け容れなかった女。

初めて「泊まりにおいで」と親戚の若い男に言われた時、子供心に感じるものがあった。子供を馬鹿にしてはいけない。性が何か、どこから子供が生まれるかさえ知らなくても、男というものの危険と白馬の王子度は直ぐに察知する。私は性的ではない類の好奇心はあったが、母に相談した。「絶対行ったらいけない。」と母は言い、私はそれに従った。もっと計画的でひどい経験もある、その時は、同級生の女「さっちゃん」とさっちゃんの隣の家のその中学生を放っておいて坂を駆け上り、家に帰った。

触られるまで危険を察知できない女はいない。妊娠したら12、3歳で人生の最終章。母は言った「珠算の先生は子供に妊娠させた、気を付けなさい」と、母はそれがどういうことなのか詳しく言わなかった。しかしこの言葉が私の頭に入っていた。

好奇心は、決断を遅らせる。私に好奇心がないはずはない。また私に素晴らしい人生が待っているとも思ってはいなかった。決断をさせたもの、それは小学生で妊娠!よくは分からなかったがそれを避けることにした。

少しずつでも体への浸食を許し続けること、それは同意と同じ。昨今は犯された者勝ちといったメディアの論調が多い。性と妊娠、避妊の情報が氾濫しているにもかかわらず、女はあの時は言えなかったと言い、それに同情してみせる。

他の生徒がいればどんな子でも絶対大騒ぎするに決まっている。それを受け容れた側の体と気持ちの持ちように感心する。大騒ぎできないとなると、常識的に考えて全て受け入れたいと思ったということにしかならない。女、子供その体と心の仕組みは、男を拒否しつつも、尚、男を待ち望むのである。そうしてみんな処女ではなくなる。男女の肉体関係は、それ以上の結びつきはないだろうと思ってしまうほど強く、しかし脆く、が、結局はそれだけのものでしかない。男も女も自分以外に頼るものはないんだよ、毎日新聞社と君。