Gender‐性別・性差

性別は私は女、男との性差に関して言うと、高校1年、体力テスト、運動能力テストがあった。他のクラスの同級生に170cmの声の低い見かけは男性に見える女とされていた陸上部の学生がいた。彼女は、体が恵まれていたのも関わらず、陸上部での華々しい活躍も記録も全くない。私は150ちょっと、最近何故か(隠されていた骨や筋肉が出て来ている)160を超えて170に迫ることもあるにはあるが。彼女と私だけが評価「丸A」だった。体育の教師が走り幅跳びのテスト時、走り出す寸前に「貴女の利き足は左です。」と大声を出して言った。私は咄嗟に「はあ?」と思った。「私は右利き、足だけ左なんて考えられない。」しかし私は歩幅を整えて左足で踏み切った。失敗ではなかったが、思うように飛べなかった。運動能力テストは丸Aにならなかった。

この直ぐ後、オリンピックでカール・ルイスが100m、走り幅跳びでも世界記録を出し、大活躍した。アメリカはだてに米軍を置いていない。私達日本人の体力、運動能力を利用するために日本人の顔に変えた教師を置き、定期的に測定する。

それはともかくとして、私は男並みの体力がある。背筋力は目盛りが1回転して90度近くまで動く。高3で英検2級に合格し、早稲田に行った高校教師の娘が、傍で「馬鹿力」と言ったのを忘れない。彼女は脳科学研究戦略推進プログラムの一員だ。彼女も男だったに違いない。

というわけで、男の中にも女の中にも秀でた能力、体力の人はいる。社会は認めようとしなかったと私は思わない。私の能力を削ぎたい人もいるが、私の能力を買い過ぎる人もいる。私はもっと楽もしたいのにと思ってしまうことがある。能力を過小評価するのは私自身である場合が多い。どういう考えに基づいてそうするのかと言えば、怠けているだけ。チャンスは何時だって私の側に用意して並べてあり、私が手を伸ばして掴み取るだけだった。

社会がどうであれ、性差が歴然としてあっても気にすることはない。私になかった、努力する、挑むは誰にも可能である。「私は女だ」としっかり認識すること、私は男に劣る体力しかないが、他で穴埋めする、そんな気持ちがあればいい。男に言うが、「僕は男だ」と決め、性別の認識をうやむやにしないでほしい。貴方の性的趣味は性的趣味として誰もが認める。