Wikipediaの脳に関する記載が昨日の私の「脳がない」の投稿後大幅に書き直されました。脳科学者、認知科学者、脳外科医が想定して来た人間の身体及び脳の機能とその関係に、あれだけ強く正しいものとして主張していた多くの医療従事者と医療機器会社、臓器移植推進派等は、やっと人の持つ能力の高さは機器には変え難いと気付いて下さったのだろう。
理系の人は論文を英語で書く、英語で読む。ここに決して飛び越えられない高い高いハードルがある。日本人が日本語だけで話す時、相手の言ったことが全て理解できるなんてことは親子の間でさえほとんどない。理解してやりたくないことを私が生んで育てた子供でさえ平気で言う。
脳死という言葉が行き交った時代がある。冷静によくよく考えてみるといい。「死というのは、死ぬということで、死ねということではない」のに、脳死判定は「死ね」という自分以外の全てからの命令だ。
「手はまだ生きています、足もまだ生きています、目も口も鼻も耳も。脳は今死にました、」
「じゃあこの人の全部を殺してしまいましょう。」
「それでこの人の脳をどうすると言うんですか?」
「まさか木の幹が折れたから木をくっつけて縄でしっかり縛って置くように、誰かの頸にその脳を縫って繋げているんじゃないでしょうね?一体今までに人の顔と人の頭で生きる人間を何百万人作りました?」
私の母は死ぬはずがないのに死にました。近所に引っ越して来た人の子供、前から住む人の子供の子供と、何軒かの家に大きくなっている子供が突然やって来た直後です。母は毎日「子供が、子供がそこにいた」と言って怖がっていました。私はあそこを塞ぎここを塞ぎました。すると母は安心しました。そういう子供ではない子供の格好をした殺しの手伝いをする大人に当時6万円の手当が毎月出ていました。アベノミクスとはそうしたものです。
焼いた母の頭蓋骨は真っ白、砂糖菓子のように脆そうで、見たことがないほど小さく、まるで小学生の頭のようでした。私は色々疑いましたが、黙っていました。私は解剖学を習っています、生体解剖を病院で、死体解剖を大阪大学医学部でと2度解剖を見ました。私は解剖が怖いなどと思うタイプではありません。また夫、夫の叔父、夫の叔母、夫の父母、父と、焼いた後の頭蓋骨も何度も見ました。あんな頭蓋骨がある筈がありません。
何かがあったのだろうと思いますが、誰も教えてはくれませんし、私も聞けません。
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