不審に思って私は数えた。家の前と横に排水溝の蓋らしきものが12もある。外に放置された自転車は皆揃って新しかったのに風で倒れたのかそのまま積み重なるようにして玄関横のコンクリートを打った軒下にある。通ると何時もいい車が置いてあったが最近はないことの方が多い。この家は基礎を打たなかった。水道や下水管の工事を行っていない家が多く、この家も同じだった。
コンクリートの厚い横と底のある板を並べただけの家。恰好は今風だが、私は頷けなかった。直ぐ横は1m以上下がったところまで側溝だ。ここには水が流れていたのに、何故か突然近所に家が建ち始めたころから生活排水が流れなくなった。基礎が、というよりそのコンクリートの厚い板が動いているようで、側溝に砂がどんどん落ちて行っているのだ。今は木の板で堰き止めているが、木の板が側溝側にはみ出し、全体が一直線ではない。
問題は基礎。英語も数学も大好きだった。まだ参考書というものがない時代に育った。多くの子供達が小学校高学年になって使ったのが、先生が使う指導要領。答えが載っている。私は驚いた、母親が子供にこれを買ってやるという現状に。私は欲しいとは思わなかった、これを使う間に私はすっかり駄目になってしまう。基礎は学校で教師が教える。どんな下手な教え方だって、学校で一斉に教師が教えるということが何よりだと私は今も思う。一応基礎さえ全て把握しておけば応用に耐えられる。もちろん高校の東大模試などの業者テストには耐えられない。何事もレッスン次第になってしまう。解法の暗記が必要になる。私は国語と英語が忙しくて、他は、皆基礎に頼った。とはいえ、英語にしても本屋を探したが、難しい参考書はまだ置いてなかった。私達は基礎を徹底的に学んだ。基礎の中に重要な何かが潜んでいる。考えるということの土台の上でずっとその場だけで走り出すこともできずに、足踏みをする、願う高みに登れない、世の中を見晴らすこともできなかった時代。6
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