私の中で国を愛する気持ちは、これ見よがしの親子間の愛情や甘えとは縁のない母や父の日本人らしい在り様にも似て、子供だった私の中に少し躊躇しつつ、遠慮がちに芽生え、何時しか確実に育った。それは私が私を愛することでもある。それは私が私として全てから独立していくということでもある。アメリカよりも朝鮮よりも日本を私は愛す。
貴方には私を愛す資格はない。河童みたいに水辺に誘っては女だけ死ぬ、一度目は心中、でも二度目は心中とは言わない。私を水辺に誘って貴方はあれからどこへ?海に沈んだフィリピン。私は朝刊でアジアの地図を見て愕然とした。私の知るフィリピンはこんな途切れ途切れの国ではない。私は急いで買ったばかりの本棚の、私が中学生の時に使った地図を広げた。ああ、やはり。これは行われていることなのだ。地図帳が変わっている。
アメリカの植民地時代、アメリカがフランスの植民地ヴィエトナムを荒らしている最中、アジアにおける給油地が必要だった。日本の石油貯蔵量の多さは前から言われていた。日本だけでは間に合わない、中東もおそらく最も近い給油地として石油埋蔵国としてフィリピンは不可欠だったんだ。私がすっかりアメリカナイズされてしまう間にフィリピンは掘り過ぎて海に沈んだ。誰も何も言わない、誰もいないからか、どこにもいないからか、フィリピン人が。14
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