貴方や他の誰かを愛し始める時、私は日本を愛し始めた。貴方がいたから愛したのか貴方がいなくてもそうしたのかもう忘れてしまった。貴方や他の誰かは私から離れて行く、しかし、国が私を愛さなくても私は国を愛し続ける。貴方が私を愛せなくなった時、私は貴方を思いはするが私は他の誰かを探す。私は他の何処かの国を生きる場所として探したりしない。国は私が思うままに行き来できずその地から動かせない。しかしこの国が私と距離を置こうが置くまいが、私はこの日本で暮らし続け、この国の選択は全て私の責任となる。
政治家の責任感はないに等しい、天皇の責任?彼らは飾りだとマッカーサーは教えた。結構なことだ。マッカーサーはそんなことは教えてないと言っても、純真な私に国というもの、人というものを教えたのは、日本そのものではなく、米軍であり、アメリカだ。私達はアメリカが作った。私達より古い世代は、自信のない、社交性のない、一人で行動できない、アメリカナイズされていない、おどおどしているくせに責任の取れない人ばかり。
飾り物の天皇に責任を取れとは言えまい。しかし飾り物にしては随分幅を利かせる。滅んでゆくメディアの中、飾りに過ぎないというのに彼らは長嶋茂の巨人不滅のように皇室の「不滅」と「皇族人員増」を訴える。女性であろうが男性であろうが天皇の性を云々しなければ天皇を決定もできない。ジェンダーの差異は歴然として在り、男の性器を女性器にすることは、男女の肉体的差異のためにしてはならないのに、なんと男は男性器を付けたままで女性器も付ける。女には女性器を付けたまま男性器を付けたがるものは先ずいない。彼らは性の認識ができなくなってしまった。15
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