私は中学一年生。
私には成長期がない。
小学校の頃、私は他の生徒より首と肩の分背が高かった。一番後ろに並んだ私は、何時の間にか前から3番目になっていた。
私が2003年電磁波の攻撃がひどく、パンヤの枕や羽毛の高価な布団に包まって寝ても体に火傷を負い、床の上に立つと通電による全身の痺れがあり、夫の長靴を履いても、天井からの電磁波による攻撃を防げず、図書館で一日過ごしたり、いろいろ試みたが、どうしようもなくなって、私は、夫と、有名大手家具会社店員、北大生、北大卒業生らに囲まれ、失業状態にあった子供を残して札幌から離れ、米子に帰った。
米子に住んでしばらくは、多少ましだった、しかし2006年、安倍晋三内閣アベノミクスが始まると、既に私の耳に三菱グループが装着していた人工内耳に向けて大相撲夏場所に合わせて安倍晋三が総理になる寸前の8月半ば過ぎ、橋谷池坊生け花教室の無線、その他近所全部のアンテナを使った音声送信が始まった。私はその中の話を確認しようとして小学校の最後の身体測定の記録を見た。身長だけでなく、教師の書いた文章での学校生活の評価、成績と、通知表がすっかり変えてあった。
当時の総務大臣菅義偉は、田中派竹下登。竹下栄という私の同級生を演じていた人物だ。竹下登は、トム・ハンクスであり、グレース・ケリーだ。竹下栄は、グレースケリーにそっくりだったが、髪がカツラを使っていたためバサバサで、何時も紺のヘアバンドをして分け目を見えないようにしていた。彼女は、家は造り酒屋で、掛谷に住んでいる。島根県議会議員竹下登が父親、兄竹下亘は慶応高校から、慶応大学に行っていると言っていた。私が部活の途中教室に戻ると、やって来て、なぜか打ち明け話を始めたが、それっきり私は同じクラスではあっても、口をきいたことはない。私から見える位置に座ったことはなく、実際、竹下栄が何時も教室の一員としていたのかどうかと言えば、絶対にいなかったとしか言いようがない。それ以来、数えるほども会っていないのだ。46
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