さよならが

これは高校一年生の話。
中学一年、私の担任は音楽と国語教師を兼ねた小笠原先生。ベートーヴェンの骨格と縮れた長めの頭髪を持つ50は過ぎた男。
中学一年の成績が変えられた。
中学一年の身体測定結果が消えた。
中学一年の時の写真が一枚もない。
学期初めのクラスの集合写真も父や母が撮ってくれた写真も一枚もない。

同級生として目立ったのは医者の娘、那須野比早子、町内の公立高校校長の息子平野良一。一年の時は成績を貼り出してなかったように思う。平野良一は、山口県から来ている。父親は高校校長での移動だ。教師は一般的に同県内の移動をする。私が高校2年で出雲高校から浜田高校に移ると、そこに平野良一がいた。平野の父親がどこの校長として移動したのか知らない。浜田高校は一年間で、私はまた出雲高校に移る。出雲市内の鉄筋コンクリート建ての国鉄官舎に住んだ。

平野良一は卒業名簿では出身大学、就職先と全て空白。彼と同じブラスバンドにいた二年で同級生だった背の高い外人のような顔の男、野田多美夫から彼が京大に行ったと聞いてはいる。

常に常にである、彼、平野良一は中学高校を通じてどんなテストも全て一番なのだ。こんなことないと誰もが言う。これは作為なのだと口を揃えて言う。47