さよならが



私は小学校2年生、担任は岡田、女の中年の背の高い先生。学期末の日は母が来る、先生との個別懇談があるため、子供は先に帰った。通知表は母が貰って来る。帰って来て、母はもちろん怒りはしなかった。しかし気落ちした様子は正直な母の性格では隠せない。「悦ちゃん、これを見て、」私は怖かったが通知表を見た。体育の欄に2と黒いハンコが押してあった。「先生は逆上がりができないんです、」と言ったと言う。母は自分の成績表でもないのに随分悔し気に話した。私は優秀な子供を持つきれいな母を侮辱したい岡田先生の意図をその時もその後も何度も感じた。父は世界の誰より美しい人だった、それに抜きん出た子供としての日々を送った。

私にはその頃おかしなことがたくさんあった。ブランコを漕ぐと気持ちが悪くなった。酔うのだ。同時に高い位置まで漕ぐのが怖くなっていた。もちろん逆上がりのように上と下が逆になると耐えられない。手と足のバランスが崩された、と今なら言える。それに体全体のバランスが狂ったのだ。耳がおかしくなっている、だから気持ちが悪くなる。怖いのはお化けだけで他に怖いものなどなかった。

私が漕げなくなるのと入れ違いに、何だか顔が別人のようにきれいに整った戦争未亡人の役場職員を母に持つ桑本ひろ子は、元々嫌な性格だったが、これ見よがしにブランコを漕いだ。そして体育の時間だけでなく、休み時間に逆上がりの練習をする私の側でズロースを丸出しにしてくるっと鉄棒を掴んでは回って見せた。51


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