さよならが


部活はバレーボール、私は一体何週間そこにいたのかさえ忘れた。サーブを打たない選手も、サーブを打てない選手もバレーボールにはいない。私は何度練習してもサーブが全く打てない、相手のコートに入らない。私はボールを受け取ること、ボールを投げることができない。ボールが大きくても小さくても私はボールをどういう風に投げていいか分からない。どう受け止めていいか分からない。手が完全におかしくなっている。捻れているのか、短くなっているのか、身長の伸びが全くなく、成長期が訪れないことと関係があるに違いない。伸びる手足を必死で私の体の中に仕舞い込もうとした人々がいる。当然、映画、TV関係者。

官舎の風呂は、線路を渡ったところにある。私は何時も姉と一緒に風呂に入りに行った。官舎には駅長と首席助役以外にはいなかったから、他の人が入って来ることはない。夜勤の人は私達が入る時間には入らない。洗い場の広い、普通の家庭の風呂より大きな風呂だった。顔を洗う時、鼻水をかもうとすると、そこいら中が血の海になった。姉は気味が悪いのか、どうだったのか、私は一人では誰が入って来るか分からないから怖いのに一人で風呂に入るようになった。鼻からの大量の出血は、川本にいる2年間、その後も続いた。中学一年になって那須野比早子の親が腎臓病だと診断してから始まったのが、重度の生理痛だった。じっとしていることができないほどの異常な痛みだった。小学生の頃から体の大きかった私は、小学校5年生で生理が始まる。小学校の頃は、生理痛はなかった。

私はこの時、左の腎臓を抜き取られているのではないかと思いもする。世界で初めての腎移植はこの年月日である。一つの臓器を抜き取ると、他の臓器が移動する。臓器の移動によって全ての骨と筋肉の位置が変わる。川本から一番近い大学、原子爆弾の町、アメリカ一色、米兵一色に染まった町、広島、広島から広島大学から医者はやって来たに違いない。那須野比早子はお礼に広島大学医学部にそれから6年後入学する。川本高校から広島大学には合格しない。或いは那須野自体が米国人だっかかである。アメリカは原爆に関する病気関連の資料も他の資料も独占した。

私に対してハリウッドとマッカーサー=黒澤明=長澤まさみは代わりになる人工腎臓的なものも何も用意せず手術をした。大阪鉄道病院看護学校1年の頃、京大医学部卒泌尿器科の新井先生が「右の腎臓は遊走腎だよ。」と私に言った。中学一年の時、抜き取られてほったらかされた所為で右の腎臓があっちこっちしていたのだ。私の体の位置の移動、位置異常は徐々に重症化し、高校一年の頃は、長く走れなくなっていた。右わき腹の上中心よりの方が猛烈に痛くて。

安倍晋三のアベノミクスが始まってしばらくは右の腎臓は、動きはしても右にあった。逮捕状もないままに大阪地検に大阪拘置所に24日間拘留されている間に私の右にあった腎臓はなくなった。安倍晋三は、柳家金語楼で、石原裕次郎であり、北島三郎であり、谷村新司であり、杉良太郎であり、吉永小百合であり、三田佳子であり、佳子・秋篠宮次女であり、北川景子であり、元大阪府知事・橋下徹で、死んだと言って大嘘を吐いている。橋下徹は私を拘留するため、右腎臓を盗むために大阪府知事になり、盗んだ途端、知事を止めた。52


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