さよならが

私はサーブが打てないからバレーボール部を止めた。一週間はいたような気もするし、1カ月は頑張ったのかも知れない。自分にできないことがあると思わなければならないのは、逆上がりの時と、サーブのこの時。しかし私はそんなことをじっと思い続けたりはしない。誰かが私をそうしたいのならそうなるしかない。国が私をそうしているのなら、私はそうなって見せてあげよう。しかし私は無能ですなんて思いはしない。

私は陸上部に入り直した。しかしここではもっとひどいことが待ち受けていた。速い人と速くない人に分けていた。私は誰とも競争もしていないのに速くない人になっていた。もちろん速くない人の中では圧倒的にTop。或る日、専任の教師は速い人達と一緒に走るように言った。私は自分でも速くなっている気がしたので、きっと勝てると思った。しかし体は前を行こうとするのに足が思うように回転しない、私は勝てなかった。何故かその直後、私は「腎臓病」と言われ、「体育を1年間休め」と言われた。当然、陸上部になどいられない。「夏の江の川での水泳教室も禁止」と言われた。中学1年生の子供にこれだけ禁止すれば文部省も、オリンピック委員会もさぞかし嬉しかったことだろう。

私のことは日本人の未来を予測する上で非常に重要だと考える。そこで小学校2年逆上がりの時の総理大臣を明記する。岸信介、安倍晋三の叔父にあたり、山口県出身。アベノミクスは山口NO.の車が廣江の介護施設「幸朋苑」で掃除婦をしていた私の行き帰りの道にあるつぶれたような喫茶店に止めてあった時から始まる、池坊生け花教室駐車場に山口NO.の車が停まった正月から日本中を水害、雪害、異常高温とそれを誘導する電磁波が席巻し、原子力発電所が否定され、ソーラーパネルが人家の屋根を陣取り、海も川岸も人家の横の空き地さえ埋め尽くし、何時でも私達は殺されてしまうほどの危険と隣り合わせに生きなければならなくなった。そのくせ「いのち」とか「再生」とかまるで婉曲に脅しているような言葉が氾濫した。岡田という教師は、元文部科学副大臣で池坊保子、岡田は東映社長のあの岡田で民主党の岡田克也。元はロバート・ミッチャム、アメリカの俳優。倍賞美津子の夫だった萩原健一。中曽根美樹も岡田克也である。53


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