さよならが



文部大臣 は 灘尾弘吉 で臨時代理、1958年12月31日から橋本龍伍 。厚生大臣は 橋本龍伍 で1959年から坂田道太としてあるが、こういう年数及び名前は不都合なことが起こるとよく変更される。橋本龍伍 は吉田学校出身、橋本龍太郎、大二郎の父。私の措置の対象部署を回っていたと思われる。尚、橋本龍太郎元首相は、尾上菊之助、のち藤純子の夫になる尾上菊五郎である。彼もまた米国人と思われる。

アメリカ人の政権に過ぎない戦後日本の政界にあって、岸信介はその容貌からして整形した欧米人そのものである。岸信介は、川本中学校時代、営林局員として私が陸上部に入ると同時に転校して陸上部に所属した児玉という同じクラスの女子同様、姉のクラスに転校して来た男子と考える。彼は出雲の国鉄官舎にいた私が高校3年だった時、大学生だった姉が我が家に連れて来る。彼は当時、神戸大学ロシア語科だった。みんな大嘘なのだ。そこに行っても彼を探しても誰もいない。しかし国家の仕事だから、誰かは担当者として電話口に出る。

私達は父や母同様、国家によって売買されて来た。用意周到な計画の下に小説家、劇作家らが筋書きを書く。今日も私や姉や他の兄弟らをトイレの中まで覗きに入って、自らにとって実に惨めったらしい筋書きを書く。それは彼らにとって恥ずべきことではないらしい。誇らしいというから、全くアメリカ人というものは不可解である。54


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