さよならが

私は水辺で身を沈めるしかなかった
あの日雨が降っていた
中海の手前の工場の廃屋からトランペットを吹く大きな音が聞こえて来た

あの日、仕事帰りに私はトランペットを習うことにした
そしてその後1カ月も経たない内に私は精神病院養和病院の隔離病棟にいた
私が精神病患者だと思うなら誰にでもそう思う自由はある
私が「私は精神病患者ではない」と言っても、「お前は精神病だ」と言いたい人々がいる以上、私は精神病患者だということになってしまう

トランペットを私から遠ざけたいヤマハがあり、北島三郎事務所があり、遠ざけたいトランペット奏者がいる以上、私は私の表現力を一番発揮できる楽器を手にすることはできない
しかし貴方がたの活躍はもうないに等しい
私は小笠原先生に「ブラスバンドに入りたい」と言った
すると「シンバルでいいなら」と言った
小笠原先生は国語の先生で、担任で、音楽の先生でもあった
私は中学校1年生
中学2年生になって間もなく佐々木利子は放課後ピアノの練習をしている
小笠原先生が私にピアノを教えると言っていると言った
私は先生にピアノを習うことにした

私は、家に帰ると紙の鍵盤で練習をした
簡単なので私は60番以上まで練習をした
先生にオルガンでレッスンして貰う日に私はどんどんパスして60番まで行った、すると小笠原先生は「音が少しびっこを引くので、ここまで」と言った
先生はそれっきりピアノをレッスンすることはなかった
佐々木利子は先生が何故レッスンを止めたかを言わなかった
先生は私を試した
私の才能を試した

その頃、Kのマークの日活の映画が撮影されていた
主演は石原裕次郎。
私の1年生の時の数学の吾郷先生にそっくり
吾郷先生は、2年になると私が担当した新聞部の先生になった
吾郷先生にそっくりな男はその後私の前に別の名前で現れる
佐々木利子は芦川いずみに何時の間にかなっていたのかしら?
同じポーズをした写真を転校した広島市から送って来た
舟入高校が転校先だった

排他的な私は、排他性の意味について深く考える
排他性を持つのは私ではなく、教師をしながら、生徒を欺きながら映画を撮る石原裕次郎と親友の真似をして私の全てを奪おうとした芦川いずみと、石原裕次郎が成り切っている吉永小百合と2年の担任、数学教師上野里子
60年も経って教師の評価欄の記述変更を行った上野里子
そこにあった排他的という言葉

私は家に戻った
あれから何度か「私の小さい海」中海に出かけたが、死臭のする海と名付けるのが最高と今では思う
どういう目的でこの街は何処へ行き着こうとしているのか?70