さよならが

2001年度から米子飛行場美保基地再延長事業が始まると同時に私と私の家族への防衛庁と米軍の個別の攻撃は加速する。それぞれに不幸が押し寄せる、私が家に留まりさえすれば外側からは何も察知できない。夫は別れることはないと何時も言う。私はもう年を取っていた。2002年、私は1ヶ月の夫の出張中、北大を中心とした医師らに睡眠中体に機器を入れられ、体重は46㎏から50㎏に1日で増えた。

文部科学省脳科学研究戦略推進プログラムは、ヴェトナム戦争同様、米軍と組んだ小泉純一郎、つまり元韓国大統領朴正煕、第一次改造内閣で 防衛庁長官に就任した石破茂の電磁波攻撃による日本国民一掃、動産不動産年金横奪計画、Active Denial System導入、同年の2002年、坂口力厚生大臣は精神分裂病から統合失調症への改名と国民に秘密裏に進められ、NHK出版は統合失調症の厚い本を書店に並べた。厚生省は厚生労働省と改名され、精神分裂病患者など見たことも聞いたこともない、それを100人に一人のありふれた病気に変え、私はおそらく住まいの斜め前にあった鈴木という精神病院から初めは鬱病の薬を飲まされていたのだ。そこの医師らが私の部屋を何時も素知らぬ振りでじっと何時までも見ていたのを思い出す。

石破茂の在任期間は防衛庁長官として2002年9月30日 から 2004年9月27日、福田康夫内閣では防衛大臣として2007年9月26日 から2008年8月2日まで。2003年、私は24時間の電磁波攻撃による火傷と俳優を使ったストーカー行為に耐えられず、実家に住まいを移した。もちろん夫と別れたわけではない。石破茂防衛大臣は2008年、麻生太郎、鳩山邦夫、福岡本店のDEODEO、EDION、医療法人養和会鳥取県議会議員広江弌と組み、私のブログYahoo仮泊に侵入し、クリスマスにはキリストの絵を貼り付けたり、女の性器に医者がピンポン玉を入れている油絵や、死んだ男5人がベッドに横たわっている油絵5点などを貼り付けた。

死んだ男の一人は、年金を受け取る60歳に後一ヶ月で不審死した夫である。後は自民党、社会党議員だった叔父二人と国鉄職員だった両足を切断した叔父、父の母が夫の死後、小学生だった3人の子供を置いて出て行った後生んだ父の弟。私が夫のところに残っていればきっと59歳と11ヶ月で死ぬことはなかっただろう。夫は日本生命に私に内緒で夫受け取りの生命保険を掛けていたと子供が言った、夫から相談の電話があったと言う。

私は今は分かる、夫の声と顔を使っている俳優が何人もいる。石原伸晃、石坂浩二、西城秀樹などである。彼らが共謀の上で夫の声を使って子供に電話している。姉の声を断りもなくそのまま使うクローズアップ現代の桑子真帆がいるんだもの、夫は稼いでいるのに、私は十分元気だったのに、生命保険を掛けたりすることはない。誰が持ち去ったのか、今はその証書もない、私が夫の死後見た私の生命保険同意の書面の文字は私の文字ではなく、誰か知らない人の字だったし、違法な保険証書作成と掛け金支払いには全く夫は関わってはいない。もちろん私も無関係。72