第二次世界戦争を私達は第二次世界大戦と改名して教えられた。それだけではない、高校の世界史の第一次世界大戦あたりから、教師は何も言わないし、試験にも出さない。私達が学ばなければならないのはそこからである。学びたいのもそこからである。私が日本史も、世界史も興味があるのに好きになれなかったのは、そこ、私達が知りたいそこを教えない、隠しているからである。
文部科学省は、今なお、アメリカの占領下にある。米軍が日本に駐留できるということは、米軍の傘下に日本が在るということで、日本と日本人はアメリカに隷属しているのだという自覚を促すものである。当時、日本人教師が世界戦争について何も言わなかったとしても、仕方がない。彼らは、特に歴史関係の教師は監視されている。私が未だに第一次世界戦争も第二次世界戦争も何も知らなくても、世界中のあちこちで、どこかの国が日本を制御したがる、制止させようとする、そこで知らない私はあれこれ思う、私はこの国の女王様でもないのに、日本を背負って立つ。日本を悪者にしたがる国を次第に許せなくなる。
私は、戦争が大戦とされた、そのことを最近まで知らない。知ったのは死んだ父の辞書や百科事典を開いて読んだ時。父が生きている内に父の戦時中のことを聞こうとしなかったのは、語れることは家に持って帰っては来なかったから。持って帰ることは禁止されていたから。父の青春は戦地で始まり戦地で終わった。どこで生きて何をしようが、それは人の青春であり、他国が日本兵をどれだけ蔑視しようが、彼らは誇り高く生き、誇り高く死に、誇り高く傷つき、また誇り高く今なお生き続ける。どんな時代にも誰にも選択できない生はある。8
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