The Grapes of Wrath字幕版を見た 

昨夜投稿や翻訳を終え、Grapes of Wrathの字幕版を見た。私は本も読んでいない、映画も見ていない。一体アメリカとその地で生きたSteinbeckが何を書いたのか映像で確かめた。当初はノーヴェル賞受賞作映画化だけにそれなりに評価されたのだろう。しかしその日本語字幕版さえ私が翻訳を始めるまでAmazonその他にはなかった。今はいろいろ出ている。しかし字幕版はないに等しい。私が翻訳を始めた意義は大きい、私自身が評価されなくても功績大である。

画像は白黒、私は白黒が好き。ヘンリィ・フォンダの顔と様子が美しい。貧しい人々の姿をしても美しい人は美しい。女王様や王子様だけが映画の主役ではない。貧しいということは理不尽である、貧しさの中から出る道のない時代を生きなければならなかった人々は不幸である。アメリカが戦争をし続ける理由はこんなところにもあるに違いない。世界中の貧困を抱え込んで、今はどうにもこうにもならない状態だろう。そこで朝のオレンジ一切れを二切れにしたい、戦争なんか行きたい人はいない、私は戦争映画をよく見るが、なぜかそんなのばかり訳す羽目になってはいるが、汗と泥と混沌に塗れた過去の男たちの生活を見るにつけ、私や女たちを何時も男たちが守って来たんだと思う。

この「Grapes of wrath」に終わりはない、母にどう生きたいかを話してもそれは虚しい。しかし他にどんな幕の引き方があるだろう?働く場所がない、そんな時代を私は生きたことはない、主役以上の行き詰まりを今日も抱えたまま働く所がある日本に住む私も、時代もこのくそ暑い最中を今日もまた明日も生きていくんだ。ミミズが庭に走り出て何匹も死んだ、去年と一昨年はワラジムシが同じ様に自殺行為をしている。私が歩いて暑い最中をわざと買い物に出かけるのも或いは人全体の自殺行為の中の1つなのかも知れない。